Dog ears

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巨乳の峰不二子が叩かれないのも

セーラームーンのセクシーな衣装が叩かれないのも

露出度の高い下着広告が叩かれないのも、

キモい男の性的充足を目的に生み出されたものじゃないから。


 これさあ、「キモい男の」って区切り、入れる必要ある?「男の性的充足を目的に生み出されたものじゃないから」で十分じゃないの?と言うか、今回の「宇崎ちゃんは遊びたい!」が「男の性的充足を目的に生み出された」という筋は肯定するの?


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 自慢じゃないが、私はこの「宇崎ちゃんは遊びたい!」を結構初期の頃から読んでいるから、「エロい」という論点に関しては全く否定出来ないと思ってる。あのポスターを撤去せよとは思わないが、漫画の内容に主点を置かれたらどう考えても男性は不利だ。この作品を読んでおっぱいの存在感を無視出来る人間は相当鈍い。しかしだからと言って、この作品を読んでいる人間を「キモ男」とは思わないし、この作品が私達の「性的充足」を目的に描かれているとも思わない。エロはただのエッセンスであり、この作品を代表するファクターとしては不適切だ。カテゴリとしてはギャグ漫画の部類であって、決してポルノではない。


 本筋に入るが、私はフェミニストが多用する「性的消費をするな」という文言は、「目の前で発情するな」という意味合いで捉えている。例えば会社で、隣のデスクで堂々とポルノを見ている奴がいれば、それは明確なセクハラだ。「公共の場で発情している姿を見せるな」という常識は、社会人なら多くの人が共有出来るものだろう。この問題はそうした心理の延長線上にある。ブコメ諸兄はどうもこの手の批判において「作品そのものが問題視されている」という認識の様だが、私が考えるに、フェミニストが肯定出来ないのは、そうした作品を受けて自分達の身近で性的興奮を覚える男性の存在にあるのではないかと思う。要するに、私達の考えるポルノと、今回の「宇崎ちゃん」の様な性的要素を取り込んだ作品を、フェミニストは地続きだと認識しており、「同様の性的興奮を覚えている」と感じているのだろう。もちろんここに論理的飛躍はあるし、私もそうした向きに同調するわけじゃないが、その心理自体は理解出来る。「これを見ている人達は今、性的興奮を覚えているのではないか」と真面目に考えたら、男女関係なく不快な気分になるだろう。赤の他人の性的趣向なんて知りたくもない。家に帰って一人でやれ、という感情は、論理的言飛躍さえなければ不思議ではない。


 私はそういう認識なので、今日になって色々と吹き上がっている「キモ男だから批判されている」という見方は的を射ているとは思わない。あえて言うなら「そのポスターに興奮している男がキモい」という論点であって、それを一つの漫画として楽しんでいる男の容姿なんて関係はないだろと思うのだが、どうだろうか。