Dog ears

更新時刻 不定期

無題

 古い価値観が消え、新しい価値観に。劣る技術はより優れた技術に。少数は多数に塗り替えられ、世界はとめどなく変わっていくけれども。最近はあまり見ないが、少し前のネットで、「仮想と現実は違う」という見方を多くの人は持っていた(あるいは今も?)。漫画と現実を混同すれば人は笑う。「それは作り話だ」と人は言うだろう。しかし、「でもこれ、実話を基にしてるんですよ」と言うと、その人は真顔に戻るだろう。結局その差異は「知っているか否か」でしかない。私達が今日娯楽として語り継がれる作り話の中で、「完全な作り話」だと断言できるものはあろうか。と、言うのは流石に大袈裟ではあるのだが。しかし、私達は「作り話を作り話として見るということ」に慣れ過ぎているきらいがあるのではないか。感動や恐怖、善意や狂気。仮想の世界にあるそれらの人の情動を、私達は本当に想像出来ているだろうか。「これがもし事実なら」と考える余地はあるだろうか。少なくとも私の中には「世間では作り話として語られるが事実として起きた話」がいくつもある。私達はその人の数だけそういう話がある筈であり、その当事者にとってフィクションはフィクションではないのである。私にとって仮想でも、あの人にとっては違う。そういう事は当たり前にある現象であるにも関わらず、私達はどうもそういう考えがない。そこにある意味ファンタジーな要素があるからだろうか。例えばその物語に魔法や剣や槍が出てくるから?しかし実際には、私達は「完全に現実と異なる物語」は楽しめない筈だ。それを面白いと思うからには、私たち自身が理解出来る概念の基にその話は作られている。部分的に非現実的な要素はあれど、その基軸となっているのは現実なのである。では、何故そこで「仮想と現実は違う」という結論に至るのか。それは結局、漫画はどこまで行っても二次元の紙でしかなく、現実は私達の五感によって刻まれた記憶だからである。その垣根を超える技術が現れた時、もしかしたら私達にとっての仮想は現実となり、そしてその時初めて、自分だけの体験だった作り話が、共通理解されるのかもしれない。私は時々、それを望んでいるのか、あるいは自分の胸だけに留めおきたいのか、よく分からなくなるのだが。