Dog ears

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plagmaticjam.hatenablog.com

人をカテゴライズし個別的コミュニケーションを放棄してその人間をメタで認識することはすべからくヘイトなんだよ

これらの問題の根底にあるのがコミュニケーションせずに人を認識すること、つまり人に個別の物語を見なくなったことだと言えるだろう。例えば女子高生は女子高生でしかなく、きもくて金のないおじさんはきもいでしかない。タバコをすっている女子高生もいるだろうしきもくて金もないが闊達なおじさんもいるだろう。個別で認識すべき人間にたいしてメタでカテゴライズして認識するのは必ず浅薄な世界観を形成してしまう。

 自宅で煙草吸ってたら突然インターフォンが鳴り隣のおばさんが文句を言いに来る。女子高生がコンビニで買い物してたらチャラい兄さんがねえねえと声をかける。そういう世界がお望みの人なのかな。マナーとヘイト、カテゴライズと蔑視が同根だというのは別に否定しないが、その関係が物事の全てであると決めつけるのはおかしい。会社に行くだけで何百何千という人間が関わるこの社会において「個別的コミュニケーションを放棄すること」それ自体はデメリットばかりではない。無論その無意識が生む差別もあろうが、同時に配慮も生まれる。「お年寄りには優しくしましょう」とか、「子供が騒ぐのは大目に見よう」とか、もっと言うと「変な人間だと思われたくない」という心理もね。だから煙草を吸っていても心境はどうあれみんなその場で怒鳴り込むなんて事はしない。それらの何れもまあ「浅薄な世界観」なんて言われればそうなんだが、人間に重厚な世界観なんて求めていないよ誰も。私も喫煙者だしマナーもいい方だと思いたいが、晩年常に酸素ボンベと共に動き病に伏せって死んだ祖父の生き様を前に世界観も糞もないし、煙草の生む医療費と税収が釣り合ってるかとか言われたらぐうの音も出ない。こんなもの、ポリコレとやらが絶対の権力を持っていたならとうの昔に法的に禁止されている。しかし現実は値上がりや世間の風当たりは強まれど別に法的に規制すべきだという論調はそれほどない。それ自体がそこそこ恵まれているんじゃないかね、と私なんかは思うのだけどね。この件に限らず、ネット見てるとほんとみんな「社会から受け入れられたい」と連呼してるよね。まるで自分を嫌いな人がいると死んでしまうよと言うかのように。あんたを嫌いな人間なんて世界にごまんといるだろうがその多くは死んでほしいとまでは思っていないし個別的コミュニケーションをしたところで好きになってなんてくれんから高望みするなよと正直に言いたい。