Dog ears

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無題

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 私は一時期、「ネットで正しい事を言えば正しい人間になれる」と思っていた。私がはてなに住む様になったのはおよそ10年前、高校生になってからだったと記憶している。意外な話だが、当時の思い出は殆どない。シロクマ先生の様に一つ一つの出来事をしゃぶりつくしていたわけではないし、記事として記録に残していたわけでもない。だからその当時を振り返っても詳細な記憶などとうの昔に失われた。当時の私は学校に馴染めず勉強も部活も交友関係も全て壁にぶち当たり同時に家の問題で自我というものが揺らいでいた。どこにも行き場所がなくただずっと電車に乗って景色を眺めて一日を過ごしていた時期もある。そんな私にとって、はてなは理想的な世界だった。何故なら、理屈が全てだったから。世間のしがらみや私の過去や家の問題など全てを抜きにして発言する自由がそこにはあり、的を射た事を言うと何かしら褒めてもらえた。コメントでは聡いフリをしていたが、内実は承認欲求の塊だった。そして生まれたのが「現実とのギャップ」だ。ネット上の私は中道と理屈の権化であったが、現実の私は何も成し遂げておらずあまつさえ病にも侵された救い難い若者で、生来の卑怯な性格とネットで身に着けた言葉の鋭さ故に多くの人から嫌われている事に気付く。ネットという世界はかなり断片的な構造になっている。言いたい事を言える反面、相手が言わない事を理解する事が難しい。それは承認欲求を満たす面においては利点となったが、人を理解する、あるいは自分を理解してもらうといった社会的なコミュニケーションにおいては欠点と言える。より多くの人に刺さる直感的な言葉を使えば軋轢を生み、かと言って詳細に全てを語れば主題が希薄となる。そして何より、私達はネット上で何を言っても中心が自分になってしまう。外からインプットされる情報を自分の脳で処理し適切なコメントを抽出する。一見当たり前なこの作業には「相手の立場」というものが抜け落ちており、結局やっている事は禅問答に過ぎない。私達はネットによってより多くの人間と繋がっているにも関わらず自分しか見えていないのである。だからシロクマ先生の今の見地は極論を言えば「自分に飽きた」状態なのではないかと思う。私達はネットを通してより深く自分というものを理解したが、他者を理解出来る様になったわけではないのである(まあシロクマ先生の場合は職業柄そういうわけではないとも思うが)。何れにせよ、私個人はもう自分というものには飽きた。とは言え、そんな状態にあってもたまには自分ではなく他者の世界を如実に表現してくれる記事(最近で言えば、NTTからの退職記事など?)というものはあるもので、そこまで退屈はしていない。ただネットに依存している部分は昔より遥かに少なくなっており、そこで何かを成し遂げたいなどの意欲は最早なく、このブログの様にただ小さな自分の居場所があればよいとこの頃は思う。