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自分なりに考えたこと - ヨッピーのブログ

 ネットで活動する人間の多くが忘れている事実が一つある。それは、私達はただの「個人」でしかないという事だ。例えば、テレビに写っているニュースキャスター。その人は個人だろうか。あるいは、ドラマや映画に出ている俳優は?学校で学生を教えている教授は。彼らは違う。個人ではない。多かれ少なかれ人は企業や団体に属し、それらに守られている。もちろんそこで生じる責任というものはあるが、だからこそどう行動すべきかは自明だし、いざという時は対応を指導し、守ってもくれる。近年ネットが普及し、私達は個人として情報を発信する機会が増えた。昭和の時代などと比べるとそれは劇的な変化で、みんながそれを良い事の様に捉えている。一時期、はてなでは「アウトプット」という表現が流行った。自分の主義主張を文章として発信する事は自己実現において重要な事であるという見方だ。そして次第に「承認欲求」などという側面が浮き彫りになり、炎上芸や互助会などという話も出てきた。みんな、何かしらの支障が出た時、「その意見が間違っているせいだ」あるいは、「それを読んでいる人達が間違っているせいだ」と考える。しかしそれはそんな単純な構造ではない。物事が正しいか間違っているかなんて尺度は人それぞれで明確な定義なんてないし、時には何を言ったところで理解などしてもらえず、自分が正しいという証明も出来ない。問題の本質はその何歩か手前にある。そう、個人だ。小説の作者は自分だけで言葉を紡がない。何度もアイデアを選別しプロの編集者と協議しながら推敲を重ねて手間を掛けて本を作る。個人は違う。自分だけで問題を定義し、自分の言いたい事を言う。それは普通の職業に比べるとハイリスクハイリターンな世界だ。クリティカルに言葉が刺さる機会は多いかもしれないが、思想の露出が多い分、考え方の合わない人間からは簡単に性根が見透かされる。個人というのは職業ではない。当然扱う情報は自分のアイデンティティにより近いものになる。多くの人はネットの活動とプライベートを区別出来ていない。普通の芸能人がまず最初に着手すべき一線という概念がそもそもない。寧ろ、そういう距離の近さが自分の売りであると考えている。しかし相手は不特定多数の群衆だし、相手は自分のプライベートに干渉される事を望んでいない。人は自分の事を理解されたいと考えるが、赤の他人を理解したいなどとは思わないし、一度刷り込まれた印象は簡単には覆せない。これはそういうどこまでも自己責任な世界なんだよね。自分の身は守れても、仲間のそれは守れない。守るための枠組みを作らず個人という気安さの上にあぐらをかいていたツケだ。そう表現するほかない。