Dog ears

更新時間 09:30、10:30、11:30、13:30、14:30、15:30、18:30、19:30

無題

痴漢冤罪の話が燃え上がる度に、子供の頃、例えば小学生の頃の移動に関する感覚を思い出す。当時は自転車で動く距離は友達の家や公園だけで、それ以上の遠出は親父の車に頼っていた。ひょいっと乗って、雑談したりうたた寝したりしている間に、すぐに目的地についた。何の疑問もなかった。中学生になり電車で通学するようになっても、その意識は大して変わらなかった。決まった時間に乗り込み、何をしていても危険はない。眠り込んで駅を乗り過ごす事はあっても、リスクについて考えた事はなかった。しかし大学生になり、何の縁か自転車やバイクや車に乗る様になり、社会というものはどうもそう安全なものではないらしいと学んだ。最初の頃は「自分がきちんと注意して運転すれば事故になど合わないだろう」などと考えていたが、色々な経験をする度にそれも違うという事に気づいた。社会には様々な他人がいた。子供から老人まで各々の意識と目的によって勝手気ままに動き回るリスク達。一旦停止のある路地裏からノーブレーキで突っ切っていく狂った車や、自転車をギリギリで追い越した直後に幅寄せし左折していく大型トラックなどを見た後では、路上の安全性について何の確信も持てない事を認めざるを得ず、そうした諦めから自転車やバイクを降りていく仲間もいた。自然、有事の際の対応という意識が芽生えた。まず何を置いても警察に連絡する事。逃げれば当然罪になるし、うやむやに示談してしまえば事故の証明が出来ず保険が使えなくなる。そして任意保険やロードサービスなどの必要性を再確認し、しかし何にしてもリスクから完全に逃れる事は出来ないという覚悟が身についた。現代の日本において、交通事故のニュースは毎日耳にする。特に私の住む愛知県は交通死亡者数ワースト1の地域であり、危険な「名古屋走り」で有名な土地でもある。近所の交差点は一年に一度くらいのペースで大きな衝突事故が起こる場所だったりもする。今年のはじめには、大破し横転する車も遠巻きに見た。ここまで言って何だが、別に私は「だから冤罪は大した問題じゃない」などと言う気はない。電車を使う人にとってそれは重要な問題だろうし、事実、誤認逮捕されて実名が報じられた際には大きな損害を被るだろう。その事の大きさを否定するわけではないし、車社会のリスクと比べて云々という対比をするつもりもない。ただ、そういうリスクに対して、「逃げるのも仕方ない」という帰結に驚愕するのだ。有事に対する心構えが全く無いのではないかと思わざるを得ない。そういう意味で、もう少し社会の理不尽に対する姿勢を改めた方がよいのではないかと、この種の問題を見る度に言いたくなるのである。

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