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Dog ears

更新時間 09:30、10:30、11:30、13:30、14:30、15:30、18:30、19:30

無題

生きるのに資格っているのだろうか? - ニート気質な僕の生きる道

 生きる資格。非常に人間らしく理性的な価値観だなと思う。道徳的な意味合いであれば、もちろんそれは認められる。それは明らかな自然権であり、何人も侵す事の出来ない権利だと思われる。しかし、それは実在する物事だろうか?現実的に見れば、例えば中絶されて生まれる事さえ出来なかった存在に対して、それを認める事は出来るだろうか。よしんば出産されたとして、その負荷で死んでしまったり、出産後間もなく捨てられて声を上げる事も出来ぬまま死ぬ存在には?育児の過程で暴力的な親から受けた虐待で死ぬ子供は?そういう思慮は尽きる事がない。世界に目を向ければそういう理不尽は無数にあり、私達は絶えずそれらと戦いながら、人間という種の中で、「生きる資格」という概念を確立する事を試みてきた。食料の充実、医療の進化、教育の確立、セーフティネット。人間は様々な角度からより「生き易い環境」を作り出そうとしている。しかしその結果、生物としての本来的な「生きる」という意味が変容していると思われる。つまり、生物は自然の中で弱肉強食という原則に則り生き残り種を残す必要があったが、人間は社会構造の下に一権利者として自立して生きなければならないという事だ。そしてその「権利」という概念が、私達を悩ませる。それはしばしば「義務」と同一視され、「権利を主張するならば義務を果たせ」という文脈で語られるが、概念上それらは全く別個の物事であるとされる。しかし個人の権利を守る為にはまた別の人間が義務を果たさねばならず、その両者に結びつきが全く無いと言う事は出来ない。この構造は人間同士が上手く機能している分には良好な関係を築けるが、何かしら問題が起こると個人にストレスが集中し、ケアの必要性が生まれる。話の初めに立ち返ると、この「お前に生きる資格は無い」と言う類の人は、この話の「ケアが必要な人間」に該当するものだと思う。つまり概念上の「生きる資格」云々とは全く別の話として、この両者の関係の問題を見極め、ケアする必要がある。なのでまあ、自分がそういう事を言われたなら、目先の批判はともかく大局を見る事を勧める。

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