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Dog ears

更新時間 09:30、10:30、11:30、13:30、14:30、15:30、18:30、19:30

無題

人工透析云々という話で思うんだが、何故みんな「透析に至るまでに自堕落があったかどうか」にこだわるのだろう。透析患者が直面しているのは、「過去の行為の責任」などではなく、今、目の前にある「人工透析せざるを得ない生活を強いられる」という苦痛だ。私は腎臓の話に詳しくないから詳細な議論は出来ないのがもどかしいが、しかし「透析をする生活」というものが楽な生活ではない事は容易に想像がつく。定期的に病院に通い、それによって体調が著しく上下する。それは明らかな「痛み」であり、人間というものを壊しうる破壊力を持っていると私は思っている。彼らに「過去の生活の是非」を問う意味があるのだろうか。例えば、アメリカでは、社会福祉を民間が担っているとあって、医療にまつわる問題は多く聞く。しかしそれらの問題の大半は、「その治療をして助かるかどうか」が論点だと思う。資本主義的、合理的な理由から、「助からないと思われる治療をしても意味が無い」と処断される事はあっても、「過去の生活に起因する病である恐れがあるから保険は適用しない」などという例があるのだろうか。少なくとも、それは「後出し」で出していい条件ではないのではないかと私は思う。何れにせよ、この問題で最も着目されるべきは、患者に重くのしかかる「現在進行形の痛み」であって、本当に自堕落からくる病をなくしたいと思うのなら、その痛みに対して真摯に向き合い議論していく必要がある。死ねだの殺せだのという幼稚な言論に振り回される必要は無い。

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