Dog ears

更新時間 09:30、10:30、11:30、13:30、14:30、15:30、18:30、19:30

無題

 人工知能系の学会誌の表紙となっているイラスト周辺で何やらジェンダー的な問題が勃発していたらしい。「らしい」というのはこの数日間そういう記事のタイトルは目に入っていたけどあまりコミットする気にならず今日に至っているわけで、持論は兎も角どちらの側にも立ちたくはないのだけども、ただ今になってブコメなどをつらつらと読んで、少し思うところはあった。それは文章にしろ写真にしろ絵画にしろ、ある種の表現に対する読者との意思の疎通についてだ。例えば、自分が今このブログに載せた写真は、ただ単に街角の一般的な風景を撮ったもので、そこにそれ以上の意図は無いのだけれども、ブログの読者の中の一人にとって何かとても不都合な要素があって、それを自分に強く抗議された場合。まあ細かく言い出すとその「不都合な要素」の性質如何という話になるのでその辺は省くけれど、要するに、そういう時に表現者である自分は、読者の意見を汲むか、それよりも自身の正当性を主張するか、「選択」を迫られるわけだ。すると当然、前者を選べば自分の表現に手を加える事になるし、後者では下手をすると敵を作ってしまうわけだけれども、何れにせよ、そこに「選ばない」という選択肢は無い。しかし、ネット上ではともすると後者を選択する人が圧倒的に多い気がする。それは一度放った言葉は取り消せないというネットの性質のせいかもしれないし、一度問題が提起されると当事者以上に周囲の人間が白熱するせいかもしれないけれど、個人的には、「表現というのは読者の反応によって規定される部分が確かにある」という点を踏まえて、まずは当事者間の意思の疎通が重要なんじゃないかと思う。

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